EBA2 ブログとは


EBAII (エバツー)と読みます。
【EBA II】とは こうなればいいな~ ローマ字で NAR EBAII と言うコンセプトを持っています。社会的地位 年齢 性別を一切問わず 皆様に投稿して頂き繋がって行ければ「いいな」と考えております。投稿の中には 今まで気がつかなかった新たな生き方のヒントが隠されているかもしれません。小さなスタートですが継続する事によって このブログから色々な情報やアイデア等を発信したりする事が出来たら楽しさがより広がると考えております。【世界を今まで以上により良い所に変えたい】 そんな思いから始めています。

2016年3月28日月曜日

生きる課題!?

2回目の登場です。
みなさん、元気ですか?

ほんの数分前までは、前回書いてて自分が楽しかったので、今回も女子会の事を書こ~♪
と思ってました。
でも、ふっ・・・と新聞のある記事を読んだら、泣いてしまいました。
なので、今回はその新聞の内容に少し触れてみます。

それは、毎日新聞の「女の気持ち」という投稿欄に掲載されていた手紙です。
彼女は37年前に離婚して(旦那さんは彼女と2人の息子を捨てて、若い女に走っていったそうです)、
それから1人で2人の子供を育ててきたそうです。
そんな彼女に病気が見つかりました。
その手紙の結びには、こう書かれてました・・・

人はそれぞれ課題を持って生まれてくるという。
病気もその1つで、生き方を見直す時間を与えられていると思う。
私と寄り添う家族に感謝し、友達にも感謝。
頑張っている内臓の1つ1つにもありがとう。

この手紙を読んで、私みたいに泣いた人は沢山いると思うし、
残された時間を感謝して生きていこうと思った人も沢山いるはず。
彼女の知らない人達が、彼女の言葉で心を動かす事が彼女の生きてきた意味なのかなあ~
と思うと、凄い任務を果たしたんだと思うのです。

私の生きる課題は何かな~
そんな事を考えながら、私も日々感謝して生きていけたらいいなあ~と思いました。

※ちなみに、我が家が毎日新聞なのは、週1回掲載されている「毎日かあさん」のマンガが好きだからです。
その前に読んでいた読売新聞は「ねこピッチャー」が好きでした。可愛くてお勧め♪
そろそろ更新の時期なので、次はどっちのマンガを読もうかな。

makimaki

2016年3月24日木曜日

保育園落ちたの。。。



約一年半の育休から、ほぼ育休期間終了と同時に保育園入所がかなった
私にとって、そんな私は「とても幸せなんだなー」と感じる記事が話題になっています。
「保育園落ちたの。。。」の話題。

そこで、今、2歳の子を保育園に預けながら、夫婦共にフルタイムで働く
親の観点から、この話題(問題)を考えてみました。

まず、保育園、保育士が足りない→保育園を増やそう、
と考えるのは、とても安易じゃないでしょうか?
そして、現在入所できている親や子が抱える問題も含めて、
総合的に解決していく方法を考えるべきではないかな?

なぜなら、保育園を増やすには、用地や建設、地域との
調整など、とても時間とお金のかかる問題がある。

さらに、現在の保育園のシステムが、働く親や、預けられる子にとって
充分では無いのでは?と考えるから。

では、何が不十分か?
①両親がフルタイムで働いていると、子供と接する時間がとても少ない。→子を預けておいて矛盾するが、出来るだけ多く接したい。
②子が、発熱等、急な病気の時に、預けることが出来ず、仕事を休む必要がある。→重要な仕事を受けにくくなる。
③急な残業があった場合など、お迎え時間の問題。

などなど、、他にももっとたくさんあると思います。

みなさん働き方は様々です。
働きかたによっては、今の保育園で充分な方も多いかもしれない。
しかし、フルタイムで働き、責任の重い仕事をしている方は、病児保育も含めた急な対応が
出来る保育環境が必要だし、少ない空き時間でも、子供と触れ合える場所もあると、とても嬉しい。

それでは、どんな解決方法があるか?
ちょっと考えて見ました。

こんな方法はどうでしょう?
①保育園を新設、運営する予算を、託児所等を企業内に新設する企業に補助金等として交付する。
②企業は、社内に託児所を作り、社員の子を受け入れる。出来れば残業等の時間延長にも対応
③託児所には、病児保育に対応できる様、病児保育士の準備も。(臨時でも可)

もし、社内に上記の様な託児所があれば、
親は、空き時間に子供と触れ合う時間もとれる。お昼も一緒に食べれるかもしれない。
病気の時も、近くに親がいることで、急変したときの対応や判断にも困らない。
子も、親の働いている姿を見ることで、親への信頼や、
近くに親がいるという安心感が得られるはず。。

企業側も、補助金等で、経済的負担なく、社員を大切にする、子育てを応援する企業として
企業価値が向上する。

政府(国)としても、保育所を新設する場合と比べ、費用負担も少なく、速やかに保育園問題に対応できる。

などなど。
実際にやるとなると、調整が必要なことも多いと思いますが、
とても良い方法な気がする。

私自身も、もし自分の勤める会社に、託児所があり、
就業時間中、自分の近くで子供を預けられる環境があれば、安心して仕事が出来るのではないかな?

みなさん、私の勝手な意見どう思いますか?

2016年3月19日土曜日

ストレス解消できるはずなのに…。

お久しぶりでございます。
千葉県柏市で一人で床屋をやっております
『リスタート』です。

毎日  刃物を使う仕事に神経を使い、事務仕事にも追われ バタバタしながら家に帰り夜中2時に寝る。疲れてるのに運動不足で睡眠不足。それでも健康でケガをしないで過ごしたいと願う。 ちょっと矛盾してますね。やりたい事と出来る事の理想と現実のギャップに苦しみ、自分自身に対してのストレス満タンです!

理容師になりたての頃から、ケガをして会社や同僚に迷惑をかけるのがコワくて、だんだんフットサルやスノボーなど、スポーツをやらなくなりました。(実際、スノボーで3回同じ所を骨折してクビになった同僚もいまして…。)

学生の頃 少しゴールキーパーをやってた事もあり、フットサルではゴールキーパー以外は出来ないのですが、すぐに指をケガしてしまいます。

ちょっとのケガなど大丈夫そうですが、指に違和感のある床屋に 顔を剃られるなんてコワいですよね!

他にスタッフがいる場合は 仕事を代わってもらえますが、一人で営業している今は どうにもできないので  昔より更にケガをしそうな事を避けています。

責任感をもって仕事をしているので仕方がないですが、 楽しい事を避けているのはストレスが溜まりますね。仕事の悩みのストレスも加わり たまに頭がパンクしそうになります(笑)

そんな私のストレス解消になっているのがサッカー観戦です!

柏で働くようになり、住むようになり、この街の事を 知るために  柏レイソルの試合を 観に行くようになりました。

土日は仕事で観に行けないので、実際は 年に数回しかない平日開催の試合しか観に行けませんが、その日を楽しみに 毎日仕事のモチベーションを保っています。

選手の名前やプレースタイルを覚えていくと気持ちが入り、応援に熱が入っていきますし、スタジアムが小さいので 選手が ものすごく近くて迫力があります。
おまけに居酒屋でお酒をのんだりするよりチケットは安いし 貧乏な自分には良い事ばかりです!

自分はスポーツをする事を避けてストレスを溜めているのに、
スポーツをしている人を応援するだけで  そのストレスを発散している。

どうやら自分はスポーツをする事よりも観るほうが好きらしいです!

お金があったら 柏レイソルのオーナーにでもなりたいですが 毎年35億円位を稼ぎ続けるのは床屋には無理なので  諦めます(笑)

BIGが当たっても無理ですもんね!

これからも地元にプロサッカーチームがあることに感謝しながら地域密着の床屋の仕事を頑張ります!


……しかし今シーズンの柏レイソルは昨日も勝てず

0勝2敗2分。現在16位タイ。

ダメだコリャ。

今のところは全然ストレス解消になってません。

(^o^;)

                                                                    

2016年3月16日水曜日

素敵なキャンピング

みなさま、こんにちは。
ひとつ前の海里さんの投稿を見て、5年前のことを思いました。
あの時僕は新宿にいて、電車が止まり、携帯も繋がらない。
訳の分からないまま、6時間以上歩いて埼玉まで帰宅したこと。
ようやくテレビを見て、愕然となったこと。
そして、今も復興中なんだということを思い返しました。

さて、打って変わって僕の投稿はというと。。
毎年この時期になると、「いよいよだな。」と思うことがあります。
レッツ、キャンピング!・・・と。

昨今では、グランピングなる絢爛豪華なスタイルも聞き及んでおります。
正直、ちょっと羨ましい気もしますが、僕のスタイルはとってもシンプル。
基本は小さなソロテントとタープと最低限の調理器具のみ。
設営もカンタンです。
しかし、一緒に行ってくれる相方が出来ると、そうも言っていられません。
当たり前ですが、手狭なんです。

「ねえねえ、今日テレビでグランピング特集してたよ。」
「・・・。」
「ティピー型の大きいテントって、おしゃれだよね。」
「・・・・・。」

ご要望にはお応えしたいが懐事情もある。。。
取り急ぎ昨年はテントを見直し、ちょっと大きな2・3人用を新調するに留まりました。

引き続き、今年度はタープを新調予定。
タープは家でいうとLDK、リビングでありダイニングでありキッチンにあたります。
テント=寝室に対して、実生活の場です。
通常2人なら、小さなものでも充分ですが、あえて倍以上の大きさにしようと思っています。

その訳は。。
ここ最近、キャンプ人口が増えているようです。
レジャーとしてもお手頃ですし、特に何もしなくても自然体験だけでも楽しい。
実際、僕の周りでも行ってみたいという人が結構います。
でも、いかに設備の整ったキャンプ場でも、初めて単身・単家族では不安なようです。
それなら、友人知人たちに、もっとお手軽に楽しんでもらえたらいいなと。
最低限、テントと寝袋があれば一通り体験できる場を、ささやかながら提供したいなと。
そんなふうに考えてのことなんです。

これは、ソロのときは考えてなかったことです。
単独と二人では、心境の差は大きいのかな?
今では、みんなウェルカムな気持ちです。
大変小さな一歩ですが、キャンプに興味を持った身近な人が始めやすい場ができればいいな。
と思っています。

そのためにも、先ずは大きくて懐の深いタープが必要不可欠です!
オススメがある方は是非ご教示ください。m(_ _ )m



2016年3月9日水曜日

流れる季節の真ん中で




お久しぶりです、海里です!


流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
忙しくすぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く

なんの歌詞でしょうか?
ヒントは、今日は3月9日ですよ。
卒業式シーズンですね。
卒業生の皆さんおめでとうございます。


また、もうすぐ震災から5年ということで、
テレビでも新聞でも震災のニュースが多く取り上げられています。

私はあの時、春から行く高校が決まった中学3年生で、
高校の体育館で入学説明会を受けていました。
交通機関が止まってしまい、家に帰れない人も多く、
徒歩で7時間かけて家に帰ったなんて人も少なくはありませんでした。


そんな震災についてお話ししたいと思います。

私は結婚式場でアルバイトをしています。
ちょうど半年くらい前のバイトの日、
お酒も入りとても明るく楽しいご親族の方がいらっしゃいました。
どこからいらっしゃったのですかとお尋ねすると、
福島から来たんだとおっしゃいました。
福島と聞いて頭に浮かんだのが震災だったので、
震災大丈夫でしたか?と言うと、その方の顔付きが変わりました。
あなたは凄いね、と
震災から時間が経った今、被災地から離れたところの人が
震災大丈夫だったかと声をかけてくれることが、 どれだけ嬉しくて有難いか、
と、その方は何度もお礼を言って下さいました。

正直、そこまでの反応をされた事に驚きました。
心からの心配というよりも、半分社交辞令で出た言葉だったため、申し訳なくも思いました。
どんなニュースよりも、どんな新聞の記事よりも、
その方の表情とその言葉に、震災がどんなものかを考えさせられました。
その場にいなければ記憶は風化していってしまうし、
私が日々の生活の中で震災を意識して生活することはほとんどなくなったけれど、
震災が”過去”になっていない人がいることを痛感した瞬間でした。


5年経った今でも、18万人の方が仮設住宅でくらしているそうです。
震災直後はどの番組でもやっていた復興支援のお願いはなくなりましたね。

オリンピック向けの施設建設にかかるお金の一部でも、
復興支援にまわすことができればいいのにと、
数年後の何兆円もの経済効果よりも、
”今”をどうにかして欲しい人達が大勢いるのにと、
思う今日この頃です。


口だけで私が何をできるわけでもありませんが、
これを読んで少しでも震災を思い出してくれる方がいたらいいなと思います。

2016年3月5日土曜日

就活をしたくない大学3年生が「シュウカツ」をしない夢の叶え方を妄想してみました



初めまして。お初にお目にかかります。のぐのりと申します。


Ryu殿に誘われて一筆、私の夢について語らせて頂く運びと相成りましたで御座る。


未だ21才の青二才、文才は一切ない(Yeah!)、シャイな秀才(Yeah!!!)、その名も…の・ぐ・の・り!Hoooo!!!(Foooo!!!)








……。








お待たせいたしました。改めましてのぐのりです。ちゃんと投稿できてるかな?


現在まとめサイトの専属ライターとして働く傍ら、ベンチャー企業のインターン生として働く傍ら、友達のRyuに声をかけてもらって、


私の夢について文字に起こしてみることにしました。






ズバリテーマは、「シュウカツ」です。






私は現在21才。現役で進学した大学3年生です。林大貴とよーちゃん、Ryuと同じ大学に通っています。


大学3年生といえば、世間のイメージでいえば「シュウカツ」を、こぞって始める時期ですね。


没個性化を押し付けられた衣装を身にまとい、クソの役にも立たない定型文を暗記するためだけに貴重な学生生活の貴重な時間を費やし、
インターンやセミナーや説明会といった文言に騙され、完全に時代に追いつけていない自分たちの会社がいかに時代の最先端を走っているかを唯一達者な口を開いて私たちを洗脳してくるイベントが、考える暇を与えまいとするように、毎日のように、津波のように押し寄せてくる、忌々しきあの、


「シュウカツ」です。






私はある一冊の本に出会い、日本の素晴らしい「シュウカツ」の制度に疑問を覚えたことをきっかけにして、


シュウカツをしたくない理屈を粘土のように、紙粘土のように、まるで東京タワーを作ろうとして失敗してただの三角錐になってしまった自分の作品を目の前に絶望した幼稚園児のように、


こねくり回していました。






こねこねくりくりしていたら、なんとなくですが、私の将来の夢、あこがれの暮らしや生き方が明確になってきました。


私の場合、それは「田舎暮らし」でした。






私は新潟県の片田舎、ど田舎とは言い切れないけど娯楽も楽しみもない、車で30分の距離にイオンがあることくらいが自慢の、豪雪地帯の町の出身です。


大学進学を機に上京して横浜での一人暮らしを始めましたが、ある種のギャップ、いわばリージョンギャップともいえる衝撃を、私は感じることになります。


大学の新入生歓迎会で夜の横浜に繰り出した時のこと。私は夕方から深夜まで大学の先輩と一緒に飲み会に参加することになるのですが、その時異変に気づきました。


夜暗くなっても、町中から人がいなくならないのです。それどころか、むしろスーツ姿のおっさんがどんどん増えていきます。


「な、なんだこの夜行性ヒューマンズは…いったいいつ寝てるんだこの人たち…?」


齢18の私は、そう思ったのです。






また、私はレザークラフトを趣味にしているので、革の名産地である浅草にも、よく訪れる機会がありました。


横浜から浅草まで行くには、京浜東北線で40分くらい電車に揺られる必要があります。


東京の電車といえば、満員電車。オバタリアンとオジタリアンたちのおケツとの戦いです。


通勤ラッシュの時間帯を避けても、座席に座れることはまれでした。平日なのに。


対して、新潟の地元での移動手段といえば、マイカーがメイン。あるいは2両編成の電車やおばあちゃんだらけのバス。


立ったまま30分以上ヒトヒトヒトでごった返した電車に乗る、なんていままで経験したこともありませんでした。






そしてなにより、野菜がまずい。飯がまずい。なのに高い。


トマト1個で198円?ハァ( ゚Д゚)?


もやしが1袋39円?ハァ( ゚Д゚)?


Why Tokyo's People┓( ゚Д゚)┏!?!?


しかも実際買ってみたら、全然おいしくない。田舎から時間をかけて横浜や東京のスーパーに運んでくるために、当たり前ですが鮮度が低いんですよね。


もちろん、高級料亭やイタリアン、フレンチレストランなど、一流のレストランはきっと、私が知っている料理のどんなものよりも美味なのでしょう。それはこっちに置いておきます。


問題は、特別な日でもなんでもない、365日毎日の食生活です。


コンビニのごはんやカップ麺は、できるだけ食べたくない。自炊がしたいけど、野菜はおいしくないし高い。下手したら外食したほうが安上がりの場合もあります。


私は、これからずっとこんなに高くておいしくない野菜を毎日食べ続けるんでしょうか。
外食とジャンクフード生活を重ね、50歳台でヨボヨボのおじいちゃんになり、内臓はぼろぼろで


生きているのか死んでいるのかわからない、病院や老人ホームでの寝たきり生活を送ることになるのでしょうか。






オラ、こんな人生イヤだ…!






そこでもう一度目を向けたのが、都会の人々のほとんどがなぜかリタイア後の生活として夢見ているらしい、田舎暮らし。Uターンでした。(リタイアするより前に移住したらいいのに)


田舎での暮らしは、ほかの人にとってはともかく、私にとっては魅力的な選択肢だったのです。


子どものころから大自然の中で遊ぶのが大好きだった私、お肉よりも野菜の方が大好きだった私、人混みが大嫌いだった私、全裸で近所を走り回っておばちゃんたちにいい子いい子されることが何よりもうれしかった私は、


たぶん、都会での暮らしに向いていない人間なんだと思います。


とはいえ、上京してそこそこ偏差値も高い日本の最高学府へ進学したにも関わらず、地元に就職したりアルバイトをしたりするのも、私のプライドが許しません。






ならどうするか?






フリーで稼げるようになればいいんです。


会社や組織に依存せず、自分の能力と自分で作り上げたシステムで利益を生み出し、趣味とお金稼ぎを一度にこなして、


毎日妻と子どもの顔を見ながら仕事をする。身内が体調を崩した場合にも、出勤の必要がないので一日中見守ってあげることができる。


出勤に2時間かかる仕事のせいで妻の出産に間に合わない、なんてこともない。同居する親の死に目に立ち会えない可能性も低くなる。


地元でとれる新鮮な野菜はおいしくて安く、自家栽培でお気に入りの野菜を作ることもでき、子どもを囲ってご近所さんみんなが可愛がってくれる日常。


のびのびと太陽の光を浴びた緑は心地よく茂っており、夜には星と夜空のコントラストが見事な満天の星空を毎日楽しめて、


鳥のさえずりと鶏のコケコッコーで目を覚まして一日が始まり、静かな夜をだれにも邪魔されずに過ごし、


春には桜と花粉症、


夏は潮風とひまわり畑、


秋の紅葉、


ちょっと雪はたくさん降るけれど


スローでミニマムな生活の中で、最大限の幸せを得ることができる。


そんな毎日がハッピーなフリーランスという職業を、私は選択します。






もちろん、障害や困難は普通のサラリーマンよりもずっと多く、これから数年は泥をすするような生活になる可能性も高いでしょう。都合のいい面ばかりを見ている自覚は、誰よりも持っています。


それでも、私はシュウカツがしたくない。ダラダラと長く働くことが美徳とされ、効率性や生産性の概念が欠落し、大企業勤務という看板に甘んじて成長を怠り、朝から晩まで仕事をした後は家族をおざなりにして、なおざりにして、自分のベッドで死んだように眠る。疲労しきった体を無理矢理たたき起こして乗車率300%の満員電車に乗り、ストレスだらけのルーチンを何の疑問も持たずにやり続ける。生きながらにして、死に続ける。もう死にたいと思い続けるような、


そんな人生への第一ステップを、私は踏み出したくないのです。






私は、いくつかのベンチャー企業のインターンとアルバイトの経験はありますが、もちろん社会人経験はありません。社会の厳しさを知りません。だから、私の周りの大人たちは口をそろえてこう言います。


「そんな甘い考えは捨てろ」


「一度大企業に就職すれば転職がしやすくなる」


「とりあえず3年は耐えろ」


でも、親たちをはじめ、周りの大人たちが説いてくる社会の厳しさには、もう聞き飽きました。わかったふりをし飽きました。






これは私の人生だ。自分がうまくいかなかったからって、私に同じ道を歩ませようとするな。






…まあ、こんな偉そうなことを書いておいて、1年後には、やっぱり気が変わってちょっとした中小企業でサラリーマンしている…なんて可能性も高いんですけどね。小心者なんですけどね。


その時は、心の中で笑ってやってください。でも、やさしくしてあげてください、メンタルは弱いのです…。お願いいたします。m(__)m










拙い文章で恐縮ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。


個人的にブログも運営しているので、ぜひ訪れていただけると嬉しいです!
http://nogunori.hatenablog.com/



2016年3月1日火曜日

スカッとブラブラ!


「働きアリの2~3割は働かない」

「しかし、その働かないアリがいざというときに働いて、集団の絶滅を防いでいる」

まるで3年寝太郎のような北大チームのアリの研究成果は、ネットでもニュースになったのでご存知の方も多いはず。


僕はこのニュースをみて、むかし九州出身の飲み仲間から聞いた「スカブラ」の話を思い出した。

かつて日本一の産出量を誇った筑豊の炭鉱では、10人一組の炭鉱夫が3交代で働いていた。

3Kどころではない過酷な労働で噴出した汗に石炭の粉が染み込み、終業のトロッコで地上に上がってくる頃には皆真っ黒であるのに、10人の中でただ一人、汗もかかず服も汚れずニコニコしている男がいる。

彼は他の炭鉱夫と同じように炭鉱に雇われているのだが石炭は掘らず、世間の流行事やエロ話などをしては笑わせ、お茶を入れたりして一日を過ごす。それが仕事なのだ。


仕事が好かんでブラブラしている、スカッとしてブラブラしているから「スカブラ」と呼ばれたという。


上野英信「地の底の笑い話」には久ちゃんというスカブラの話が出てくる。

久ちゃんは作業坑道に着くと「何時になったかな?よし、俺が見にいっちゃる」と詰所へ出かけていき、しばらくすると「おーい、もう10時だぞ休憩せんね」と戻ってくる。

一日がその調子なのだが、久ちゃんを誰一人嫌がる者はなく、むしろ愛された。
久ちゃんが休むと仕事の能率が上がらず、8時間が何倍にも感じられたという。


一度だけそんな久ちゃんが時間を見に行くのも忘れて働いたことがあった。

落盤で仲間が坑道に閉じ込められたとき、彼は先頭に立って指示を出し、上役のお偉いさんまでこき使って仲間を救い出した。
全員を救出したとき久ちゃんは仲間に向かってこう言ったそうだ。

「このアンポンタン!きさまどんのおかげで、俺は時間を見に行くひまもなかったぞ!」


やがて、石炭から石油の時代となり炭坑の経営が傾き始め、役員たちは何もしないスカブラ達を真っ先にリストラした。
すると坑夫同士の人間関係もギスギスしはじめ、作業効率は下がり、閉山に拍車がかかっていったのだった。

僕はこの話がとても気に入り、酒の席で時々話したりしていた。

上野英信がいうように、寝太郎や物ぐさ太郎のようなヒーローを求める時代は、民衆が不幸な生活を強いられてきた証拠だとしても、スカブラが輝いていた時代にあこがれる。

僕もいつか働かない働きアリに見習って、スカッとブラブラしたい。

そんで、だれにも嫌がられず、むしろ愛されたい!と願うのです。

(僕は今もけっこうブラブラはしている方なのですが、久ちゃんや先輩達のようにスカッとはなかなか行かないのですよね…)
























上野英信(著)「地の底の笑い話」 (岩波新書 青版)