初めまして。お初にお目にかかります。のぐのりと申します。
Ryu殿に誘われて一筆、私の夢について語らせて頂く運びと相成りましたで御座る。
未だ21才の青二才、文才は一切ない(Yeah!)、シャイな秀才(Yeah!!!)、その名も…の・ぐ・の・り!Hoooo!!!(Foooo!!!)
……。
お待たせいたしました。改めましてのぐのりです。ちゃんと投稿できてるかな?
現在まとめサイトの専属ライターとして働く傍ら、ベンチャー企業のインターン生として働く傍ら、友達のRyuに声をかけてもらって、
私の夢について文字に起こしてみることにしました。
ズバリテーマは、
「シュウカツ」です。
私は現在21才。現役で進学した大学3年生です。林大貴とよーちゃん、Ryuと同じ大学に通っています。
大学3年生といえば、世間のイメージでいえば
「シュウカツ」を、こぞって始める時期ですね。
没個性化を押し付けられた衣装を身にまとい、クソの役にも立たない
定型文を暗記するためだけに貴重な学生生活の貴重な時間を費やし、
インターンやセミナーや説明会といった文言に騙され、完全に時代に追いつけていない自分たちの会社がいかに時代の最先端を走っているかを
唯一達者な口を開いて私たちを洗脳してくるイベントが、考える暇を与えまいとするように、毎日のように、
津波のように押し寄せてくる、忌々しきあの、
「シュウカツ」です。
私はある一冊の本に出会い、日本の素晴らしい
「シュウカツ」の制度に疑問を覚えたことをきっかけにして、
シュウカツをしたくない理屈を粘土のように、紙粘土のように、まるで東京タワーを作ろうとして失敗してただの三角錐になってしまった自分の作品を目の前に絶望した幼稚園児のように、
こねくり回していました。
こねこねくりくりしていたら、なんとなくですが、
私の将来の夢、あこがれの暮らしや生き方が明確になってきました。
私の場合、それは
「田舎暮らし」でした。
私は新潟県の片田舎、ど田舎とは言い切れないけど娯楽も楽しみもない、
車で30分の距離にイオンがあることくらいが自慢の、豪雪地帯の町の出身です。
大学進学を機に上京して横浜での一人暮らしを始めましたが、ある種のギャップ、いわば
リージョンギャップともいえる衝撃を、私は感じることになります。
大学の新入生歓迎会で夜の横浜に繰り出した時のこと。私は夕方から深夜まで大学の先輩と一緒に飲み会に参加することになるのですが、その時異変に気づきました。
夜暗くなっても、町中から人がいなくならないのです。それどころか、むしろスーツ姿のおっさんがどんどん増えていきます。
「な、なんだこの夜行性ヒューマンズは…いったいいつ寝てるんだこの人たち…?」
齢18の私は、そう思ったのです。
また、私はレザークラフトを趣味にしているので、
革の名産地である浅草にも、よく訪れる機会がありました。
横浜から浅草まで行くには、京浜東北線で40分くらい電車に揺られる必要があります。
東京の電車といえば、満員電車。オバタリアンとオジタリアンたちの
おケツとの戦いです。
通勤ラッシュの時間帯を避けても、座席に座れることはまれでした。平日なのに。
対して、新潟の地元での移動手段といえば、マイカーがメイン。あるいは2両編成の電車やおばあちゃんだらけのバス。
立ったまま30分以上
ヒトヒトヒトでごった返した電車に乗る、なんていままで経験したこともありませんでした。
そしてなにより、野菜がまずい。飯がまずい。なのに高い。
トマト1個で198円?ハァ( ゚Д゚)?
もやしが1袋39円?ハァ( ゚Д゚)?
Why Tokyo's People┓( ゚Д゚)┏!?!?
しかも実際買ってみたら、全然おいしくない。田舎から時間をかけて横浜や東京のスーパーに運んでくるために、当たり前ですが
鮮度が低いんですよね。
もちろん、高級料亭やイタリアン、フレンチレストランなど、一流のレストランはきっと、私が知っている料理のどんなものよりも美味なのでしょう。それはこっちに置いておきます。
問題は、特別な日でもなんでもない、
365日毎日の食生活です。
コンビニのごはんやカップ麺は、できるだけ食べたくない。自炊がしたいけど、野菜はおいしくないし高い。下手したら外食したほうが安上がりの場合もあります。
私は、これからずっとこんなに高くておいしくない野菜を毎日食べ続けるんでしょうか。
外食とジャンクフード生活を重ね、50歳台でヨボヨボのおじいちゃんになり、内臓はぼろぼろで
生きているのか死んでいるのかわからない、病院や老人ホームでの寝たきり生活を送ることになるのでしょうか。
オラ、こんな人生イヤだ…!
そこでもう一度目を向けたのが、都会の人々のほとんどがなぜかリタイア後の生活として夢見ているらしい、
田舎暮らし。Uターンでした。(リタイアするより前に移住したらいいのに)
田舎での暮らしは、ほかの人にとってはともかく、私にとっては魅力的な選択肢だったのです。
子どものころから大自然の中で遊ぶのが大好きだった私、お肉よりも野菜の方が大好きだった私、人混みが大嫌いだった私、
全裸で近所を走り回っておばちゃんたちにいい子いい子されることが何よりもうれしかった私は、
たぶん、都会での暮らしに向いていない人間なんだと思います。
とはいえ、上京してそこそこ偏差値も高い日本の最高学府へ進学したにも関わらず、地元に就職したりアルバイトをしたりするのも、私のプライドが許しません。
ならどうするか?
フリーで稼げるようになればいいんです。
会社や組織に依存せず、自分の能力と自分で作り上げたシステムで利益を生み出し、趣味とお金稼ぎを一度にこなして、
毎日妻と子どもの顔を見ながら仕事をする。身内が体調を崩した場合にも、出勤の必要がないので一日中見守ってあげることができる。
出勤に2時間かかる仕事のせいで妻の出産に間に合わない、なんてこともない。同居する親の死に目に立ち会えない可能性も低くなる。
地元でとれる新鮮な野菜はおいしくて安く、自家栽培でお気に入りの野菜を作ることもでき、子どもを囲ってご近所さんみんなが可愛がってくれる日常。
のびのびと太陽の光を浴びた緑は心地よく茂っており、夜には星と夜空のコントラストが見事な満天の星空を毎日楽しめて、
鳥のさえずりと鶏のコケコッコーで目を覚まして一日が始まり、静かな夜をだれにも邪魔されずに過ごし、
春には桜と花粉症、
夏は潮風とひまわり畑、
秋の紅葉、
ちょっと雪はたくさん降るけれど
スローでミニマムな生活の中で、最大限の幸せを得ることができる。
そんな毎日がハッピーなフリーランスという職業を、私は選択します。
もちろん、障害や困難は普通のサラリーマンよりもずっと多く、これから数年は泥をすするような生活になる可能性も高いでしょう。
都合のいい面ばかりを見ている自覚は、誰よりも持っています。
それでも、私はシュウカツがしたくない。ダラダラと長く働くことが美徳とされ、効率性や生産性の概念が欠落し、大企業勤務という看板に甘んじて成長を怠り、朝から晩まで仕事をした後は家族をおざなりにして、なおざりにして、自分のベッドで死んだように眠る。疲労しきった体を無理矢理たたき起こして乗車率300%の満員電車に乗り、ストレスだらけのルーチンを何の疑問も持たずにやり続ける。生きながらにして、死に続ける。もう死にたいと思い続けるような、
そんな人生への第一ステップを、私は踏み出したくないのです。
私は、いくつかのベンチャー企業のインターンとアルバイトの経験はありますが、もちろん
社会人経験はありません。社会の厳しさを知りません。だから、私の周りの大人たちは口をそろえてこう言います。
「そんな甘い考えは捨てろ」
「一度大企業に就職すれば転職がしやすくなる」
「とりあえず3年は耐えろ」
でも、親たちをはじめ、周りの大人たちが説いてくる社会の厳しさには、もう聞き飽きました。わかったふりをし飽きました。
これは私の人生だ。自分がうまくいかなかったからって、私に同じ道を歩ませようとするな。
…まあ、こんな偉そうなことを書いておいて、1年後には、やっぱり気が変わってちょっとした中小企業でサラリーマンしている…なんて可能性も高いんですけどね。小心者なんですけどね。
その時は、心の中で笑ってやってください。でも、やさしくしてあげてください、メンタルは弱いのです…。お願いいたします。m(__)m
拙い文章で恐縮ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
個人的にブログも運営しているので、ぜひ訪れていただけると嬉しいです!
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http://nogunori.hatenablog.com/